Research[研究]

人間の心と体を癒す
かしこい馬たちに秘められた力

馬は人を見ていますし、
穏やかな日とそうでない日があります。私たち人間と同じですね。

愛隣会の牧場にて、賽漢卓娜教授(写真右)と友人のようにふれあう介在馬。

家族社会学・移民研究が専門の 賽漢卓娜 (サイハンジュナ) 教授は北京出身。
中国のモンゴル民族で、両親のルーツである内モンゴルでは草原で人と共に生活する馬を目にしていました。
それだけに日本を含む先進国で垣間見た家畜の自由が制限された飼育環境には違和感を持ったとのことです。
そもそもモンゴルの遊牧民にとって、馬はどのような存在なのでしょうか。

「モンゴル草原は、日本とは広さや自然環境が異なるため、馬と人間との距離感や生活環境が異なるのは仕方がないことかもしれません。日本では馬は歴史的に見て、畑を耕したり物を運んだりするための道具という側面が強かったと聞いています。モンゴルでは一緒に移動しながら暮らす身近な友人です。馬はとてもかしこい動物ですし繊細でもあるので、人に飼われるのではなく、餌になる豊富な草を求めて広大な草原を自由に動き回る生活をしています。何日も帰ってこない時は、“お宅の馬は百キロ先の林の中にいますよ”と、ほかの遊牧民から位置情報を教えてもらうこともあるんですよ」。

古くからモンゴルを含む遊牧地域やヨーロッパなどの馬と共存する地域では、馬は友人として人間を心身ともに癒してくれていました。
そして、医療分野では、ホースセラピー(療育乗馬)がドイツに発し欧米を中心に発展します。
日本ではホースセラピーは発展途上にあり、ごく一部に導入されているものの、利用規模はまだまだ小さい現状だとか。
賽漢卓娜教授は続けます。

「現代の日本人の多くは、乗馬クラブや牧場にいる馬を見て、高嶺の花だと感じているのではないでしょうか。少なくとも身近な存在ではないと思います」。

元気にじゃれ合う馬たち。愛隣会ではスタッフの不在時にも、柵の範囲内で馬が自由に動けるようにするなど飼育環境を改善。どのような変化があるのか検証が進んでいます。

賽漢卓娜教授は現在、門司和彦教授 (熱帯医学・グローバルヘルス研究科)、岩永竜一郎教授(医学部保健学科)、佐藤靖明准教授(多文化社会学部)、絢野ナチン氏(社会福祉法人南高愛隣会ホースセラピー研究センター室長)との共同研究「ホースセラピーにおける馬と障がい者の関係性に関する研究」に取り組んでいます。
1992年にホースセラピー事業を開始した南高愛隣会では、8頭のセラピー介在馬を飼育(2023年10月時点)。

本研究は、愛隣会が蓄積してきた、厩舎での馬と人間との関わりや活動に関するデータを分析および検証。
障がい者の治療と生活改善を主な目的にしてきたホースセラピーを広範囲に認識してもらい、様々な層の人たちが利用できる未来に近づくための一歩と位置付けています。
愛隣会への聞き取り調査から、どのような事例が見えてきたのでしょうか。

『馬と生きる豊かな社会へ ~ホースセラピーの現場から~』(※1) 2022年、多文化社会学部のリサーチ系科目『リサーチ基礎(インタビュー、参与観察)』の一環としてフィールドワークを実施。愛隣会が運営していた長崎市いこいの里あぐりの丘の乗馬施設(当時)を訪ね、学生24名とホースセラピーの現場を多様な視点から調査。ホースセラピーの多面的機能や、人と馬との関係性に関して得られた知見を報告書にまとめました。

「脳障害があり右腕が動かないお子さんがいました。乗馬で体幹が鍛えられ、その後引き馬など馬の世話を通じて徐々に右腕が使えるようになったそうです。また、お子さんの成長した姿を見て、母親が誇りを感じたとも聞きました。ほかにも道具の洗浄や厩舎の清掃といった介在活動の中で、得意分野が見つかるなど様々な事例が挙がっています。馬には人間の心を癒し、埋もれている能力を開発してくれる力があります。馬は基本的に穏やかですが、人を見ていますし、人と同様に機嫌の悪い時もあります。また生活環境が悪いと不安定になってしまいます。馬との相互理解が進み、馬の生活環境の整備がされていけば、馬と人との共存のかたちはより多様化していくでしょう」。

馬を友人という賽漢卓娜教授。眼差しの先には、かつて見たモンゴルの大草原や悠久の歴史絵巻が広がっています。

※1)2022年、多文化社会学部のリサーチ系科目『リサーチ基礎(インタビュー、参与観察)』の一環としてフィールドワークを実施。愛隣会が運営していた長崎市いこいの里あぐりの丘の乗馬施設(当時)を訪ね、学生24名とホースセラピーの現場を多様な視点から調査。ホースセラピーの多面的機能や、人と馬との関係性に関して得られた知見を報告書にまとめました。
  • 賽漢卓娜
    多文化社会学部社会動態コース 教授

    「馬に関わる人間のライフストーリーにも関心がある」と賽漢卓娜教授。18歳まで遊牧生活を送った父親がのちに中国北京の大学教員になったことから、北京市で育ちました。「夏休みに内モンゴルに帰省した時、父が馬に乗る姿をカッコいいと思いながら見ていました」。