Saiyu Fund
[西遊基金]

恩師の言葉に初めて意識した我が母校

西遊基金 2023/07/03

 私は昭和46年に長崎大学医学部を卒業しました。大学時代を振り返りますと、水泳部の活動にあけくれた日々が心に浮かびます。在学中に文教キャンパスに現在の教育学部プールができ、医学部の学生は他学部の学生たちと共に泳いでいました。「せっかく医学部に入ったのに泳いでばかり。一体何をしているのだろう」と、言われることもありましたが、唯一やりたかったことが水泳だったのです。そんな私に向かってある友人は「あなたは泳いでいるからあなたなんだ。一生懸命打ち込んでいる、それが尊いんだよ」と、励ましてくれました。

鹿児島で開催された西部国公立水泳競技会にて
左から4人目が古賀理事長

 また、医学部泌尿器科の近藤敦教授(故人)は、卒業後もお世話になった恩師の一人です。近藤先生は水泳部の顧問を務めておられ、試合で好成績を出した折には宴席を設けてくださるなど、威厳がありながらも愉快で面倒見の良い方でした。私は医学部を卒業後は長崎を離れ、久留米大学第三内科(当時の木村内科)に入局しました。父が作った古賀病院に戻り、透析室を開設することになった折には、近藤先生のお力添えもあり、長崎大学の泌尿器科と第二内科(腎臓内科)で実地研修の機会を得ることができました。恵まれた環境で研修を終えることができましたが、近藤先生には私が遠慮しているように見えた時があったようです。「母校なんだから遠慮することはないんだよ」。そう言葉を掛けてくださり、初めて“母校”という言葉を意識しました。

長崎大学医学部水泳部コンパ
前列左から2人目が近藤敦教授

 
 私はこれまで前だけを見て歩んできました。そろそろ人生を振り返る時期だろうと考えていた時に、西遊基金が創設されたことを知りました。もしかしたら、かつて冗談のように近藤先生がおっしゃった「将来プールぐらい寄附しなさい」という言葉が、頭の片隅に残っていたのかもしれません。
 振り返れば長崎大学に入学した頃の日本は、高度経済成長の真っただ中にありましたが、まだ周りは比較的貧しく、下宿部屋にテレビを置いている仲間はいませんでした。水泳部には、病院の当直やバスの車掌など、アルバイトをしながら学業と部活動に励んでいる仲間もいました。豊かな時代になった今でも、苦労を重ねながら頑張っている学生さんはいらっしゃるでしょう。寄附はあくまで気持ちでしかありませんが、困窮されている方のために役立てていただければと思います。


古賀 伸彦 こが のぶひこ

1947年1月11日生まれ。1971年長崎大学医学部卒業。久留米大学第三内科(当時、木村内科)を経て、医療法人天神会古賀病院副院長、新古賀病院院長などを歴任し、現在は社会医療法人天神会理事長。
専門は循環器内科、医工学治療(血液浄化)。1976年透析室開設、1978年冠動脈造影開始。1982年LDLアフェレシス開始。コレステロール低下と動脈硬化の改善について臨床研究。1984年PTCA開始、1988年経皮的人工心肺開始、2004年冠動脈CT開始。現在は高齢者医療に力を注いでいる。

所属学会

日本内科学会、日本循環器学会、日本透析医学会、日本腎臓学会、国際アフェレシス学会、日本アフェレシス学会、日本統合医療学会

活動

特定非営利活動法人 久留米からくり振興会 理事長