My memorable place
[私の思い出の場所]

新大工町商店街

経済学部生の“食の台所”

長澤和彦さん 経済学部・1978年卒業

 自宅から片淵まで徒歩と電車で1時間の通学、その後淡々と講義を聴くだけの授業…。そういう単調な日々の繰り返しの中で、私が憩いを感じていた場所、それが「新大工町商店街」でした。
 旧長崎街道の玄関口にあたる新大工地区の歴史は古く、諏訪神社の門前市が常設化して明治期に商店街となり、さらに終戦後に公設市場が建てられて発展の礎となりました。昭和43年に玉屋デパートが進出すると、「新大工町」「天満」「新天満」の3軒の市場を中心に連日買い物客が行き交い、正月前には通りがびっしり人で埋まり真っすぐ歩けないほど。店の人と客の距離が近く、人情溢れる商店街を形作っていました。
 私が通っていた昭和50年前後は、映画館や本屋、レコード店等もあり、主婦のみならず学生にとっても快適な街でした。再映専門館「新大映劇」では低料金で多くの映画を堪能、「好文堂書店」では2~3時間は余裕で立ち読みできました。遊びの誘惑にも事欠かず、娯楽の殿堂・パチンコ店は「宝会館」。いつでも同級生と出会える不思議な場所で、4人揃えばそのまま裏通りの雀荘へ…というパターンの如何に多かったことか。腹が減れば、蕎麦屋「むさしの」、トルコライスの「ツル茶ん」、お好み焼きの「みやち」。喫茶店は「富士男」「民芸喫茶くらしき」、「春本」のかき氷も懐かしい。おやつは「長崎屋」か「平井餅まんじゅう」か。そうそう、経済原論ゼミの児玉元平教授馴染みのスナック(店名は失念)も商店街のはずれにあり、ゼミを早終わりしてまだ明るいうちから盛り上がったものです。貧乏な学生たちにもやさしい、安価で食材が調達できる有難い商店街で、西山や片淵の下宿では、よくささやかな宴会が催されていました。
 それからほぼ半世紀、平成には「シーボルト通りオープンモール」として整備された一方、古くからの市場や商店が廃業するなどの紆余曲折を経て、令和4年11月、複合施設「新大工町ファンスクエア」が街のランドマークとしてオープン。商店街の賑わいを再生し、新しい魅力を持つ街へと変貌しました。とはいえ、商店街の皆さんの思いは以前と少しも変わらず、消費者のそばに寄り添い、消費者と一緒に街を盛り上げていく、そういう心意気が今も受け継がれています。
 まちなか移転も一部で噂される経済学部ですが、商店街周辺地区に住む学生たち、そして商店街に通う学生たちにとって、“食の台所”としての存在は欠かせません。新大工町商店街の新しい未来に大きな期待を抱くとともに、学生たちの食を支える場所として、これまで以上の繁栄を願っています。

1976年新大工町商店街(写真提供:長崎新聞社)
現在の街並み