Circle[サークル]
これまで落語と触れ合う機会はなかったものの、落語研究会が創設50周年を迎えたと聞き、この機会にぜひ取材したいと思いました。代表の馬渡遥(高座名:麗し亭千春)さんにお話を伺いました。
まずは落語を始めたきっかけを教えてください。
馬渡さん 両親ともに学生時代から落語研究会に所属していました。今でも仕事の傍ら落語をやっています。私も物心が付いた頃から落語が身近にあり、自然と生活の一部になっていました。
村瀬さん 落語研究会は創設50周年を迎えたそうですね。入部して感じたことはありますか。
馬渡さん やっぱり皆さんに注目される中、1人で高座に上がり笑っていただいた時は、幸せだと感じます。でも実は今、メンバーは私1人だけしかいません。なかなか若い方には受け入れられず、古臭いと思われているのかもしれません。1人で笑いを取れる快感はとても気持ち良いですよ。
村瀬さん 1人で活動するのは大変ですよね。
馬渡さん はい。でも、たくさんのOB・OGの方に支えられています。伝統のやわた寄席も、長崎にいらっしゃる先輩方のサポートのお陰で開催できましたし、昨年12月には、創設メンバーを長崎にお迎えした集まりにも参加しました。
50年前のメンバーが長崎に集まられたのですか? それは凄いことですね!
馬渡さん そうなんです。来られない方もおられましたが、20歳台から70歳台まで、多くの先輩方にお集まりいただきました。
村瀬さん どのようなお話が印象に残っていますか。
馬渡さん 創設に至るまでのエピソードです。当時からサークルを新設する場合、メンバーを一定数揃える必要がありました。創設メンバーの鶴屋無学(高座名)さんが、お友だちを誘って集まったのは3人まで。困っていたところへ、教養部(現在の教養教育)の黒板に「落研を創ろう!」という書付けがあると情報が入ったそうです。無学さんはすぐにその書付けの横に「我らも同じ志の者、一度会いたい」と書置きしたところ、それを見た方々が集まり8人で創設に至ったそうです。
村瀬さん 今では、考えられないエピソードですね。
馬渡さん はい(笑)。でも、そうやって一生懸命このサークルを創っていただいて、本当に感謝しています。50周年記念イベントでは、日頃から私を支えてくれている先輩や、創設時の先輩方の温かい思いを感じました。たくさんのお話を聞く中で、 “自分は1人じゃない”と強く感じました。伝統ある落語研究会を自分の代で終わらせたくない、という思いに押しつぶされそうになっていた私に、先輩方は“自分が楽しいと思う落語だけをやっていって欲しい”とおっしゃいました。その言葉に涙が止まりませんでした。
今後はどういった活動をしていきたいですか。
馬渡さん 気負わず楽しく落語をやりながらボチボチ進んでいきます。もちろん新メンバーも集めたいです。初詣で大吉を引いたので、なんとかなるでしょう(笑)。後輩が入ってくれたら、一緒にお礼参りに行きたいと思います。
面白がる気持ちが良い落語をつくる ー落研OB 林田繁和さんー
─裏方として、やわた寄席の運営をサポートされていますが、これまでもOBの皆さんが、手厚くサポートしてきたのでしょうか。
林田さん いえ。落語は聞きに行きますが、運営自体は学生だけで行います。しかし、さすがに千春(馬渡)さん一人では難しいので、昨年7月の寄席からサポートしています。
─部の存続が危ぶまれています。どのような心境でしょうか。
林田さん 創設メンバーと確認し合ったのは、部がなくなったら寂しいけれど、伝統を守らなければいけないという責任を、彼女一人が背負う必要はないということでした。4年しかない大学生活ですから、楽しんで欲しいと思っています。
─大学から始めた落語が、林田さんのその後の人生の原点にもなったそうですね。学生の皆さんに落語の魅力を伝えるとするならば、どのようなところでしょうか。
林田さん 古典落語には著作権がありません。面白がる気持ちと扇子と手ぬぐいと座布団さえあれば、成立するシンプルな芸ですし、お客さんの想像力を借りながら成立させるところも、テレビや演劇とは違う面白さだと思います。人前に立つきっかけにしたい方や、誰かを笑わせたい方にとって、落語は入りやすい芸ではないでしょうか。大波が立つように、客席で笑いが起きた時は本当に感動しますよ。
学生広報スタッフ【Cho査隊】NKスターズ 教育学部4年 村瀬晴香さん
馬渡さんの“自分は1人じゃなかった”という言葉が印象的でした。このインタビューを読んだ方の中から、落語に興味が湧いて、伝統のサークルの門を叩く方が一人でも出てくることを期待しています。
落語研究会
創部年:1973年(昭和48年)
部員数:1人
活動日:火曜 18:00~
※この記事は学生広報スタッフが執筆しました。