Saiyu Fund
[西遊基金]

遠のいていたつながりを思い出すきっかけに

西遊基金 2023/11/01
内藤啓子さんは1936年生まれ。長崎大学学芸 学部修了後は小学校教員に。
一人旅がお好きで 47都道府県を制覇されました。

 1954年、長崎大学学芸学部小学2年課程 に入学した私は、島原の実家を離れ、長崎市内の学生会館に入寮しました。学生会館は当時、東京や京都など全国に数力所あった国立の寮です。唯一の女子寮だった長崎の学生会館には、市内の他大学や長崎大学薬学部の女子学生がいました。一番驚いたのは寮のそばに刑務所があったことです。目の前には差し入れ屋さんもあり、「ふくすけ」という名前だったと思います。一杯15円でうとんが食べられたのですが、実家からの仕送りは月3000円、寮費は2700円でした。たまに食べるうとんがとても美味しくて、思い出の一つになっています。
 私が在籍していた2年課程は1クラス90人でした。短期間で修了できるとあって人気があったようです。先生は「秀才クラスだ」とおっしゃっていました。私はピンときていませんでしたが、大事にされていたと記憶しています。
 私自身、学業にはあまり真面目に取り組んだ方ではなかったと思います。印象に残っていることといえば応用化学の授業です。それは教科書をなぞるだけの授業ではなく、先生が面白いお話を交えながら教えて下さる楽しいものでした。こんな勉強の仕方があるのかと驚きました。また、学業以外では「生活綴り方」という部活に入っていました。

1949年大村市乾馬場で発足した長崎大学学芸学部(当時の写真)。
文教町には1953年に移転しました。

 大学修了後は郷里に戻り小学校の教員になりました。大学で得た学びを子ともたちのために活かすことができたのか分かりませんが、先日教員になって初めて受けもった、もう60年以上前の教え子の一人が「先生に」と育てたブドウをわざわざ届けてくれました。

 2019年に届いた長崎大学校友会設立のお知らせは、長い年月がたちすっかり遠のいていた私と長崎大学のつながりを思い出すきっかけになりました。このお知らせを通して、当時の私たちと同じように、今の若い長崎大学の学生さんが頑張っていることを知り、多くの寄附はできませんが、少しでも彼ら彼女らの役に立ちたいという気持ちになりました。いつまで続けることができるか分かりませんが、これからもこの思いを届けられればと思っています。

旅先で仲睦まじい内藤ご夫婦。夫の智さんは学芸学部中学2年課程のご出身です。
修了後は中学の教員を務められました。