My memorable place
[私の思い出の場所]

長崎ゴールデンボウル

波乱の時代に見つけた居場所

才木邦夫さん 教育学部・1973年卒業

私が高校3年の頃、全国で巻き起こっていた学生運動の波はピークを迎えていました。長崎大学前でも警察や機動隊が人だかりを作り、その光景を登校中のバスの中から横目に見た日もありました。

そんな中、本来ならば大学で行われるはずの入学試験は別会場になり、私たち受験生は警察官に警護されながら会場に入りました。合格発表は文教キャンパスまで見に行きましたが、その後の入学式は実施されず、キャンパスでは教養部棟(現、環境科学部棟)を学生の運動家たちがバリケードを築き占拠(2カ月ほどあと、建物の屋上と地上とで、運動家と新入生、一般学生連合軍が石を投げ合うなどの攻防戦の結果、やっと解放された)するなど、波乱の大学生活の始まりでした。

この解放されるまでの2カ月間は講義もまったくありませんでした。モヤモヤが募る中、私は入部するクラブをバドミントン部と決めていたため、部室を訪ねることにしました。「授業がないなら来たらいいよ」と先輩たちが温かく迎えてくれ、そこからの私の大学生活はまさに“バドミントン学部バドミントン学科”。毎日のように練習に励み、専門書を読み漁っては相手に想定されない球筋の研究に余念がありませんでした。

トレーニングの一環として通っていたのが、大学近くにあったボウリング場「長崎ゴールデンボウル」です。当時は空前のボウリングブーム。長大生はみんな行っていたかもしれません。土日ともなれば行列ができるほどの人気でした。私は週1回程度、料金が割安な早朝の時間帯に一人で出かけて、たっぷり12ゲーム汗を流した後に大学へ。投げる球は最重量の16ポンド(7.26㎏)でした。当時は遊
びも一生懸命な学生が多かったと思います。いつしかボウリングブームは過ぎ去り、ゴールデンボウルも閉館となり、跡地にはマンションが建設されましたが、そこを通ると、学生生活を思い出します。

また、クラブの仲間たちとよく出かけた店が「グリルOK」です。コーヒー1杯で2時間、3時間粘っても追い出されない居心地の良い店でした。

当時、志を持って入学した学生の中には、入学式や講義が行われない状況に、虚しさを感じた人もいたかもしれません。私は幸いなことに、バドミントンというやりがいが見つかり、そして居場所を見つ
けることができました。50歳まで続けたバドミントンから今はゴルフへ。年齢を重ね、また新たな楽しみの場が見つかっています。

写真提供:長崎新聞社