ウクライナと長崎大学の間に続く関係と長崎大学が行っている支援、そしてその背景。
特集では、過去に遡ってこれまでの歩みを振り返ります。
また、ウクライナ避難民学生の受け入れに関する具体的な取り組みもご紹介します。

30年を超えるウクライナとの関係と支援

河野 茂
河野 茂
長崎大学 学長

長崎大学は2022年3月18日、ウクライナの避難民学生を大学に受け入れることを発表しました。
2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻により避難を余儀なくされたり、通っていた大学が被害を受けたりなどで多くの学生たちが学びを中断せざるを得なくなりました。
そこで、学びの場を奪われたウクライナの学生に学び続ける場を提供する支援を決定したのです。

その背景は、長崎が原爆の惨禍を経験したことにあります。
長崎と長崎大学は、原爆の惨禍によって壊滅した街の復興のプロセスに携わり、見守り続けてきた中で、学び続けること、知の力を蓄えることの大切さと強さ、価値を常に感じていました。
そして、なによりも、どのような逆境に置かれようとも学び続ける志を持った若者の存在自体が、国の将来を支える礎となり、希望となることを私たちは知っており、それが支援を決定する大きな原動力となりました。

ウクライナの国土やインフラは、いまや大きく棄損されています。
これらを再建するには、あらゆる分野において専門知識を持った多くの人材が必要不可欠です。
日本で、長崎大学で学んだことがいつか必ずや祖国の復興に役立ててもらえるものと信じてこの支援は始まりました。

さらにもう一つ、長崎大学はウクライナとの関係を1990年以来、長きにわたって持っている大学です。
1986年に起きたチョルノービリ原子力発電所事故の際に、日本で最初に長崎大学の医療調査支援チームが現地に入り、地元住民の健康調査や支援活動にあたりました。
この時の協力関係は今も形を変えながらも継続しており、長崎大学の教職員もこれまでたびたびウクライナを訪れていました。
このように、ウクライナと長崎大学の間には30年以上に及ぶ非常に長く深い歴史があるのです。
「災い転じて福となす」という言葉があります。
このことを機にこれまで研究者同士の交流が中心だったウクライナとの協力関係を、さらに学生同士、教育面にも拡大、発展させ、より良い未来を築けたら、と願っています。

ウクライナの学生を受け入れる重要な動機となったのが、
かつて旧ソ連下で起きたチョルノービリ原発事故。
原爆後障害医療研究所を擁する長崎大学から専門家が現地へ渡り、
医療支援に従事しました。そしてそこで得た経験が福島に、
さらにはウクライナ学生の受け入れにつながります。
当時を知るお二人のお話を伺いました。

※国名、地名の表記は、外務省が用いる公式表記に基づきました(固有名詞は除く)。

医療支援から見えてきた
2つのターニングポイント

山下俊一
山下俊一
福島県立医科大学副学長・国際交流センター長
量子科学技術研究開発機構放射線医学研究所長
長崎大学名誉教授
1991年5月、ウクライナ・ジトーミル州コロステンにて。

1986年4月26日未明に発生したチョルノービリ原発事故。
当時、旧ソ連と西側諸国は冷戦関係にありましたが、ヨーロッパの広い地域に及んだ被害の甚大さから、1週間後には米国による被ばく者支援活動が水面下で始まっていました。

1990年8月、日本船舶振興会(現、日本財団)の援助により、日本の専門家たちが現地に派遣され、長崎大学医学部附属病院(当時)第一内科の長瀧重信教授らがミッションに加わりました。
その翌年から、長崎大学と広島大学などによる支援活動は本格化します。
笹川チェルノブイリ医療協力プロジェクトの名の下、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの5カ所に拠点となる診断センターを設置(ウクライナはキーウ、コロステンの2カ所)。
長崎大、広島大の専門家が定期巡回し、甲状腺、血液、線量、疫学の4グループに分かれて診断や評価などを行いました。
その間、重要なターニングポイントとなったのが次の2点です。

1点目は、事故と甲状腺疾患の因果関係にまつわる研究調査です。
事故当時0歳~5歳だった約12万人の検診データから、小児甲状腺がんの増加を示唆するデータが、事故後5年が経って報告されました。
私たちは放射線の影響を証明するため、国際機関と共同で疫学調査を実施。
5年に及ぶ長期調査の結果、チョルノービリ原発事故による直接的な健康影響は、事故直後の汚染された牧草を食べた牛のミルクを飲用したことによる、甲状腺がんのみであると世界で初めて証明しました。
これ以降、同様の事故が発生した場合は、汚染されたミルクの検査と廃棄が最優先事項になりました。

2点目は人材育成です。長期的なフォローアップには、現地人材の育成が不可欠でした。
長崎大学は1992年に設立された長崎・ヒバクシャ医療国際協力会(NASHIM)を通じて、原発事故被害に遭った各国から研修生を受け入れ、診断や解析技術などを指導。
私たちは放射線の影響を証明するため、国際機関と共同で疫学調査を実施。
現在も各国の専門家が、国境を越えて学術交流を図る場になっています。
また、ウクライナに限って言えば、長崎大学はキーウのウクライナ医学アカデミー内分泌代謝研究所、同放射線医学研究所の両機関と協定を結び、共同研究など学術面において成果を上げています。

2011年2月中旬、緊急被ばく医療の世界の専門家たちが一堂に会した「WHO-REMPAN緊急被ばく医療国際専門家会議」が長崎で開催されました。
事故が発生した場合のシミュレーションや情報共有に向けたネットワーク構築などが行われましたが、この時はチョルノービリの経験が、それから1カ月も経たないうちに、福島で活かされることになるとは思ってもいませんでした。

チョルノービリの教訓と
福島の復興支援

高村 昇
高村 昇
長崎大学原爆後障害医療研究所 教授
福島未来創造支援研究センター長
東日本大震災・原子力災害伝承館 館長
川内小学校での授業。

2011年3月11日、東日本大震災によって起きた福島第一原子力発電所の事故後、被ばく医療の専門家として、私たちは福島に向かいました。
放射線被ばくによる住民の健康リスク評価や管理を行うとともに、山下俊一先生と私はチョルノービリで得られたデータに基づき講演活動を実施。
そしてこの活動が、いち早く帰村宣言をした川内村の遠藤村長との出会いにつながりました。
2011年12月には川内村復興支援を開始し、帰還に向けた支援と帰還後のリスクコミュニケーションなどを継続。
避難時には荒れ果てた村の田畑は緑が戻り、豊かな里山がよみがえりつつあります。

川内村住民訪問線量評価の様子。

また、事故後わずか3カ月で立ち上げられた県民健康調査では、現在も引き続き被ばく線量、甲状腺、健康、妊産婦、心のケアの5つの調査が行われています。
また、川内村以外の町村でも新たな拠点づくりを進めるなど、事故から11年が経過した今も復興支援は変わらず長期戦であり、むしろ、これからが正念場です。
そこで、チョルノービリで得た経験が、大きな力になることは間違いありません。

事故によって被害に遭われた方の思いを胸に、教訓とともに、強い意志と覚悟をもってこれからも支援にあたります。

ウクライナ学生の
受け入れにあたって

森口 勇
森口 勇
長崎大学理事(教学担当)

長崎大学では、ウクライナの大学生、大学院生らに継続的かつ安心して高等教育を受けられる機会を提供する目的で、彼らの受け入れを決定しました。
受け入れにあたっては、長崎大学が示した条件に合うことを書類で確認できた学生、全員と個別にオンラインで面談を実施。
長崎大学の講義が理解できるだけの英語力を有しているか、さらに日本語を学んでいる学生にはその習熟度も確認し、受け入れ許可を通知しました。

事前にオンライン面談を実施。

また、長崎に来てからは、最優先で心のケアを丁寧に行っています。
当初は大きな音や飛行機の音に敏感に反応する学生もいました。
私たちは、少しでも落ち着いた環境で安心して学び過ごせるよう、長崎大学に来て良かったと思ってもらえるよう、そして長崎で学んだ学生が、ウクライナ復興の中核的人材となることを祈って、今後も受け入れおよび支援を充実させていきます。

1986

チョルノービリ原発事故

4月26日、原子炉の一つが実験中に制御不能に陥り、炉心溶融の後、爆発。大量の放射性物質を、ヨーロッパをはじめ世界にまき散らす事態を引き起こした。

1990
長崎大学からウクライナへ医療者を派遣

8月、長崎大学の第一内科長瀧重信教授(当時)をはじめとする3人の教授がウクライナに赴き支援の礎を築く。

写真提供:原田眞理様
1991
長崎大学がウクライナにおける現地支援を開始

長崎大学は、広島大学、放射線医学総合研究所(当時)、放射線影響研究所と連携し、現地における健康管理調査と医療支援を開始。

1992
長崎・ヒバクシャ医療国際協力会(NASHIM)設立

チョルノービリ原発周辺国の医療従事者、研究者を招き、被ばく医療に対応できる人材の育成を目的に設立。

詳しくはこちら
写真提供:NASHIM
2003
ウクライナの研究機関と学術協定を締結

長崎大学は、ウクライナ医学アカデミー内分泌代謝研究所および放射線医学研究所と、2月に学術交流協定を締結。

2011 3.11

東日本大震災・
東京電力福島第一原子力発電所事故

マグニチュード9.0の地震、高さ10mを超える津波、国際原子力事象評価尺度で最上位となるレベル7の原発事故という世界に類を見ない複合災害となった。

原発事故直後の対応

チョルノービリの知見に基づき、福島県では原乳の廃棄、生鮮野菜等の流通停止などの対策がすぐに取られた。

福島県「県民健康調査」開始

チョルノービリ原発事故の知見を基に、福島県民を対象とした健康調査が、長崎大学などの協力により、発災からわずか3カ月後にスタート。

詳しくはこちら
写真提供:福島県立医科大学
2014
福島未来創造支援研究センター開設

震災と原発事故に被災した市町村に対し、健康、医療、福祉、教育等の包括的かつ具体的な支援と協力を行い、福島県の未来創造に貢献するセンターを開設。

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2015
災害・被ばく医療科学共同専攻(修士課程)開設

長崎大学と福島県立医科大学は被ばく医療、災害医療、放射線健康リスク管理に秀で、複合災害に長期にわたって対応できる被ばく医療人材の育成を目指す。

詳しくはこちら
2022

ロシアのウクライナ侵攻

ウクライナ避難民学生受け入れを決定

2月24日、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、3月18日、長崎大学はウクライナ避難民学生の受け入れを決定。

長崎大学の
ウクライナ支援

河野茂学長が
ウクライナ特命全権大使と面会

河野茂学長とセルギー・コルスンスキー特命全権大使。

7月6日、長崎大学河野茂学長が在日ウクライナ大使館を訪問し、セルギー・コルスンスキー特命全権大使に面会しました。
面会では、長崎大学が3月18日に表明したウクライナ避難民学生受け入れの概要を説明し、受け入れの現状を報告しました。
この訪問の時点で19人の学生の受け入れが決定しており、引き続き40人程度を目標に面談を行っていること、すでに9人(大使館訪問時)が来崎し、長崎大学で学生生活を送っていることをお伝えしました。
これを受けて、大使は「日本で学ぶことは、彼らにとって夢のようなことです。受け入れていただきありがとうございます。彼らの学びがいつかウクライナのために役立つことは間違いありません」とコメントされ、カリキュラムなど多くの質問もいただきました。
河野学長からは「長崎を訪れ、長崎の歴史を見ていただくとともに、長崎大学にいるウクライナの学生にもぜひ会い、激励してあげてください」と、メッセージを伝えました。

茶道を通じて
日本文化を体験

茶道体験に参加した皆さん。

7月4日、日本文化を学ぶ授業の一環として、「茶道裏千家 淡交会 長崎支部 英語クラブ T.N.E.C」の皆さんを本学にお招きし、ウクライナの学生8人を含む、10人の留学生が茶道を体験しました。
学生たちは、学生会館2階に設けられた茶室において、講師から英語で茶道の歴史や作法の説明を受けた後、茶道のデモンストレーションを見学。
その後、一人一人丁寧に手ほどきを受けながら、抹茶と和菓子をいただきました。
最初はやや緊張した面持ちでしたが、徐々に打ち解け、最後は「楽しかった」と講師と笑顔で言葉を交わしました。
参加したウクライナの学生からは「茶道は初めての経験でとても楽しかった」「日本の文化とヨーロッパの文化の違いを発見し、とても興味深かった」「日本的な雰囲気を感じられる茶室が好きだった」などの声が挙がりました。

OBの皆さま、
ご支援をいただいた皆さま
ありがとうございました

県立長崎西高等学校の生徒会の皆さんからもご寄付をいただきました。
会計委員長の溝口さん(左)、生徒会長の大塚さん。

OBの皆さま、
ご支援をいただいた皆さま
ありがとうございました

「学びの場を失ったウクライナの学生たちに学習継続の場を」と題して2022年4月から3カ月間にわたり実施したクラウドファンディングは、591人の方から当初の目標額1,000万円を大きく上回る1,226万円ものご寄付をいただきました。
皆さまからいただいたご寄付は、受け入れ学生の渡航費や生活支援金、提供する住居に必要な生活物資の購入等に充てさせていただいております。

ウクライナの
学生をサポート

2023年3月末(予定)まで滞在するウクライナの皆さん。
滞在中、彼らをサポートする方々にお話を伺いました。

長崎で過ごすひとときを
充電期間に

指導教員の夛田美有紀准教授(左)と郭昱昕助教。

長崎大学ではウクライナから学生を受け入れるにあたり、リベラルアーツを軸にしたプログラムを準備。
日本語教育や長崎平和学、華道、茶道など、日本文化や長崎の歴史に触れる内容が予定されています。
そんな中、学習支援だけでなく、生活面の相談にも対応するのが、留学生教育・支援センターの夛田美有紀准教授と 郭昱昕 カクヨクシン 助教です。
「日本語に関しては、まず7月11日から短期集中的に学ぶ場を設けました。
ひらがなから学習するクラスと、日本語を使って発表するクラスの2クラスに分かれて、1日2コマか1コマ合計30コマと、1学期分のボリュームになります。
後期課程でもプログラムは継続します。
期間が限られていますので、生活をより楽しむための日本語として勉強し、いろいろな人たちと交流する手段にしてほしいですね。
滞在中は、とにかく幸せに過ごしてほしいと思います」と夛田准教授。
郭助教は、かつてご自身が留学生として来日した経験から次のように語ります。
大変な状況の中での留学生活なので、メンタルなどもセンシティブになってしまっている部分があろうかと思います。
滞在中はせわしない日々が続くかもしれませんが、その方がいろいろな意味で気力を蓄えるための“穏やかな”時間でもありますし、有意義に感じた今の時間が前向きにしてくれるのではないかと思います」。

心と心を通わせる共同生活

ルームメイト4人で和やかにタコスパーティ。
左奥が比嘉さん。

比嘉李音さんは多文化社会学部の1年生。
国際学寮ホルテンシアで、ウクライナから来たソフィアさんと共同生活を送っています。
「例えば、銀行口座を開設する時に通訳をしたり、ゴミの出し方を教えたり、主に生活面をサポートしています。
ルームメイトは私を含め日本人3人とソフィアさんの4人です。
一緒に生活しているからこそ過ごす時間も長く、コミュニケーションを頻繁に取れるのは共同生活のメリットではないでしょうか。

豆腐を代用して作った三色丼。

食事も献立から調理まで共同作業です。
彼女はベジタリアンなので、先日はそぼろの代わりに豆腐を使って三色丼を作りました。
私自身、大学入学を機に沖縄から長崎に来て間もないので、稲佐山など観光スポットを一緒に巡りながら長崎の良いところを見つけて、教えられたらいいなと思っています」。

7月26日に行われた「長崎平和学」特別講義の一環として、留学生の皆さんが平和公園や原爆資料館を訪れました。

特集ページではお伝えできなかったウクライナ学生たちの
最新情報や学びの様子をご紹介します。

左の写真:7月26日に行われた「長崎平和学」特別講義の一環として、留学生の皆さんが平和公園や原爆資料館を訪れました。

Vol.80

2022年9月1日発行

「大学と地域の垣根を取り払う」をコンセプトに、長崎大学の思いや姿、描く未来などを共有し、
多くの皆さまに長崎大学へ関心をお寄せいただけるような広報紙を目指します。