2026.03.02

当時、一等航海士として長崎丸に乗船。
船の航行業務に加えて、
支援物資の管理などを担当。

危機的状況に直面した時、
自ら冷静に判断し行動できるのか、
今も考えます。

青島 隆
青島 隆
水産学部附属練習船 鶴洋丸
船長 准教授

東日本大震災発生から3日後の2011年3月14日、長崎大学水産学部の附属練習船「長崎丸」が、被災地を目指して出港しました。
目的は支援物資を届けることでしたが、寄港地は決まっていません。
東京湾で物資を下ろし、陸路での輸送も検討する中、被災地から「一番船として入港してもらいたい」と要請が入ります。
長崎丸が着岸した事実があれば、それよりも小さい船の入港は可能と周知できる、との期待があったのです。

そこで総勢37人を乗せた船は、鹿児島県沖を経由し太平洋周りで東北へ向かうこととなりました。
最終的に福島県小名浜港に寄港することが決まったのは3月17日の夕方でした。
翌朝、小名浜港で支援物資の半分を下ろし、その翌日には岩手県宮古港で残りの半分を下ろしました。

船長(当時)は両港に入港経験があったものの、地震の影響で海底が隆起している可能性もありました。
詳しい情報はなく、目視による安全確認を慎重に行いながら、張り詰めた空気の中での入港でした。
その時、同時に私たちの脳裏によぎったのは、放射線によって岸壁が汚染されているのではという不安です。
放射線量を測定したものの、その時の私たちに正しい知識はなく、数値が高いと勘違いして、慌てて靴や作業服を廃棄する人もいました。
また上陸地の周辺を見渡しても、避難してしまったのか、動いている人やものはなく、音もまったく聴こえません。
津波によって公園に打ち上げられているバージや、海上を漂流している家屋を発見した時には、驚きのあまり状況を理解することさえできませんでした。 ※バージ…タグボートでけん引する箱型の船。

被災地では、物資の荷下ろしをするだけで精いっぱいだった私たち。原発事故に関する詳しい情報を知らないまま、3月23日に長崎へ帰港しました。

東京湾で物資を下ろすという選択肢もあった中、小名浜港と宮古港への入港を決断した船長。
もし同じような状況下で自分が判断を求められるとしたら…。
震災から15年が経過した今でも自分自身に問いかけることがあります。
そしてこの経験を水産学部1年生の乗船実習の中で学生たちに伝え、彼らが何かを考えるきっかけになることを願っています。

長崎大学と福島

〜15年のあゆみ〜
2011 平成23年
311
東日本大震災
東京電力・福島第一原子力
発電所事故 発生
312
長崎大学病院
災害派遣医療チーム(DMAT)出動
314
水産学部の附属練習船「長崎丸」
被災地に向けて出港
315
長崎大学も含む
緊急被ばく医療支援チーム(REMAT)が
福島県立医科大学を拠点に活動開始
319
山下俊一名誉教授・髙村昇教授
福島県放射線健康リスク
管理アドバイザーに就任
41
空洞化する南相馬市に
長崎大学医療支援チーム第一陣派遣
12
川内村復興支援開始
2012
1
川内村帰還宣言
5
福島県立医科大学と
長崎大学が研修医交換ヘ
5
折田真紀子保健師(当時)川内村での
リスクコミュニケーション活動開始
9
歯学部による摂食・嚥下ケア講習会、
南相馬市で開始
2013
4
長崎大学・川内村
包括連携協定締結・復興推進拠点設置
7
川内村で保健学科による
健康サポーター養成講座開始
12
川内村で復興子ども教室開始
2014
5
福島未来創造支援研究センター設置
2016
4
長崎大学・福島県立医科大学
共同大学院 災害・被ばく医療科学
共同専攻(修士課程)設置
9
長崎大学・富岡町
包括連携協定締結
2017
4
富岡町帰還開始
4
長崎大学・富岡町
復興推進拠点設置
2019
4
大熊町帰還開始
7
大熊町復興支援開始
10
大学等の「復興知」を活用した
福島イノベーション・コースト構想
促進事業(重点枠)採択
2020
7
長崎大学・大熊町
包括連携協定締結・復興推進拠点設置
9
東日本大震災・原子力災害
伝承館オープン
2021
12
長崎大学・双葉町
包括連携協定締結・復興推進拠点設置
2022
8
双葉町帰還開始
2025
4
長崎大学・福島県
包括連携協定締結
2026 令和8年
大学の知が窮地を救った
2011~

正確な数値を示して安心安全を守る

前田 眞二さん
TAKUMINOホールディングス株式会社 常勤監査役
(当時、アルパイン株式会社人事総務部長)
(長崎西高出身)
前田 眞二 星 隆之
星 隆之さん
アルプスアルパイン株式会社
総務部いわき総務課 課長
(当時、アルパイン株式会社総務係長)

アルパイン株式会社(現、アルプスアルパイン株式会社)が拠点を置く福島県いわき市は、福島原発から40kmほどに位置しています。
震災から約2週間後に操業を再開したものの、原発に近いため放射線被ばくへの不安は大きく、退職者が相次ぎました。
しかもその多くが全国の有名大学を卒業した30歳前後の優秀な技術者であり、弊社にとって頭脳の流出は大きな損失です。
当時人事総務部長だった私は、何か行動しなくては、という思いでいっぱいでした。

カーナビゲーションなど車載システムを開発・製造するアルプスアルパイン株式会社。震災時には顧客の信頼を回復するための対策や地域復興にも力を注ぎました。
写真提供:アルプスアルパイン株式会社

そこで、当時、福島県立医科大学で放射線被ばくに関する相談対応をしていた長崎大学にご相談したところ、髙村昇教授が弊社の産業医として社員の不安にも対応してくださることを快諾いただいたのです。
とても心強く思ったのを覚えています。
まず社員とそのご家族を対象に講演会を開き、不安を抱えている方にはマンツーマンでカウンセリングを実施。
チョルノービリ原発事故後の現地で医療支援活動などの経験をお持ちの髙村教授によるお話は、非常に説得力がありました。
また並行して、弊社常勤の看護師が長崎大学で放射線の健康影響に関する特別講習を受けさせていただきました。

体内の放射性物質からの放射線量を計測するために、2012年10月に購入した移動型ホールボディカウンタ。
写真提供:アルプスアルパイン株式会社

その後も弊社構内の線量測定とそのデータの公開、食品検査などを推進する中で、明確な数値を示すことが安全への理解につながることを実感し、髙村教授のアドバイスもあって、移動型ホールボディカウンタの導入を決意しました。
いわき市は、福島県内でも放射線量が低いといわれていた地域ですが、ご家族を含む全社員の検査を実施し、内部被ばく線量を具体的に数値で見ることが重要だと考えたのです。

体内の放射性物質からの放射線量を計測するために、2012年10月に購入した移動型ホールボディカウンタ。
写真提供:アルプスアルパイン株式会社

放射線量や被ばく線量の可視化を徹底した弊社では、社員の不安が低減し、退職者の増加にブレーキがかかりました。
大学は、高等教育や学術研究とともに社会貢献という大きな使命があると思います。
髙村教授をはじめとした長崎大学のご支援は、大学のあるべき本来の姿そのものだったと思い返しています。(前田氏談)

寄り添う人
2012~

継続して取り組む復興のあり方

長崎大学大学院医歯薬学総合研究科保健学専攻修士課程在籍時に保健師として川内村へ。地元の保健師や行政と協働で放射線の健康影響に対する不安への対応など復興を支援。3児の母となった現在も、富岡町、大熊町、双葉町の復興支援に携わっています。

折田 真紀子
折田 真紀子
長崎大学原爆後障害医療研究所 准教授

2012年5月、村民の帰還が始まった直後の福島県川内村を初めて訪れ、村に常駐して支援にあたりました。
帰還宣言が出たとはいえ、得体の知れない放射線の影響はどの程度なのか、住み続けることはできるのか、以前のような生活を取り戻せるのかといった漠然とした不安や焦燥感が村民の皆さんの中に漂っていたように思います。

※川内村…原発事故後、役場ごと避難した福島県内の9町村の中でいち早く2012年1月に帰還を宣言した。

そのような中、保健師として駆け出しだった私は、若さと勢いを原動力に、土壌や食品の放射線量を測定し、その数値と健康影響を説明する相談会を催すなどの活動をしていました。
一人でも多くの村民の皆さんと会い、放射線に対する疑問や問題点を解消できたらと、文字通り愚直に取り組んでいました。

その活動初期にとても強く記憶に残っているのが、避難先でお会いした川内村出身の男性です。
「あなたは川内村が好きなのか、住めると思っているのか?」と問われ、私は「好きですよ、住めると思っています」と答えました。
しかし、その方は怒り出し、すぐにその場を去っていかれました。
長年住み慣れた村の将来や、ご自身や家族の将来について、震災以来悩み続けてきた方に対して、その方が抱えてきた葛藤を、私は十分に想像できていなかったのだと気づかされました。
同時に、十分な信頼関係がないまま自分の考えを述べても、その思いは伝わらないと強く感じ、村民の皆さんに寄り添っていくために必要なコミュニケーションの形、支援とは何かについて考えるきっかけとなりました。

現在は川内村で得られた知見を基に、富岡町、大熊町、双葉町の役場に放射線リスクコミュニケーション相談窓口を開設していますが、大熊町や双葉町に帰っておられる方はほとんどいません。
そこで、故郷に戻るかどうか分からないけれど人とのつながりは保っていたい、そういった方々を町内に招いて、放射線による健康リスクの現状や新しいまちづくりの進み方について語る場をつくっています。

新しく転入されてきた方々も増えており、放射線への不安を訴える人も明らかに減る中、支援の形も変わっていくでしょう。
それでも福島の復興や新しい未来の創造のために、放射線の問題に関連したコミュニケーション活動がなくなることはありません。
長崎大学は災害被ばく医療の分野で活動できる数少ない大学です。
今後も、継続して福島に関わっていくべきだと感じています。

リスクと向き合うために
2016~

自分事として受け止めた
被災地の痛み

卒業後、循環器内科で経験を積み、その後整形外科医として勤務。スポーツドクターを目標に循環器内科と整形外科の二つの分野に精通した専門医を目指しています。

福田 俊樹
福田 俊樹さん
熊本赤十字病院 医師 2019年卒業

医学部在学中の2016年1月から3月にかけて、髙村昇教授の研究室(原研復興)が主宰するリサーチセミナーに参加しました。
自然豊かな川内村で採れた、キノコや山菜の放射線含有量を測定し、安全かどうか見極める調査・分析に取り組みました。
それまで私の中にあった医学研究に対するイメージは、何段階かステップを踏み臨床に反映されるという中長期的なものでしたが、髙村教授の下で学んだのは「食べても大丈夫だよ」と、直接結果に結びつく判断でした。

また、福島の人の気配のない町を目の当たりにした時には愕然としましたが、どこか自分事としての受け止めができていなかったと思います。
その直後、熊本の実家が地震によって被災します。
以来、被災地の痛みをよりリアルに受け止められるようになりました。

そして、特にリスクコミュニケーションの大切さを実感し、その後の病院勤務の中でもデータの準備や伝え方など、現在も参考にしている部分が少なくありません。
分野は異なりますが、私も患者さんの不安に寄り添える医療者でありたいと思っています。

※リサーチセミナー…希望する研究室で、担当教員からマンツーマンの指導を受けながら研究に取り組む、医学部医学科の教育プログラム。
学びがつなぐ未来
2017~

子どもたちが将来を思い描くヒント

星野 由雅
星野 由雅
長崎大学教育学部 名誉教授

川内村で復興子ども教室が開始されたのは2013年。
川内村に帰村した子どもたちに将来を思い描くヒントを与えてくれる若者が少ない。
そんな訴えを聞いた原爆後障害医療研究所の折田真紀子准教授が、教育学部に相談を持ち掛け始まったプログラムです。

私自身は、2017年からこのプログラムに携わるようになりました。
震災後、原発の安全神話が崩壊し、科学技術に対する不信感が募る中で子どもたちが成長していくこと、さらに自然を恐れている現状に危機感を抱いていたからです。
この思いから授業には、川内村で採れるブルーベリーやブドウから抽出した色素を使い『色素増感太陽電池』を手作りするプログラムを取り入れました。
教育学部の学生たちが実験のサポートをする体制を作り、子どもたちはお兄さん、お姉さんが頑張る姿を見て、私たちもこうありたいと将来の自分像を重ね合わせているようにも見えました。

星野名誉教授は2024年まで復興子ども教室を運営。この教室は、村立川内小中学園が掲げる教育目標の一つ「ふるさとを愛し、川内村を誇りに思う川内っ子」という指針の中で重要な取り組みと位置付けられています。

そして2023年4月、思いがけないことに、過去に復興子ども教室に参加した高校生が、福島国際研究教育機構(F-REI)設立シンポジウムの壇上で、この川内村の色素増感太陽電池に関する発表を行い、太陽電池を屋根に設置したカフェを村に作ることができるのではないか、という提案を行ったと聞きました。
長く支援を続けてきたからこそ、見えてきた成果なのかもしれません。
復興子ども教室が記憶に残る経験になっていると気づいた私は、喜びと同時に責任の重みを感じました。

既に次の世代にバトンタッチした復興子ども教室ですが、新たなプログラムを導入するなど、これからの取り組みに期待しています。

データで支える命
2023~

防災・減災に貢献する
データサイエンス

竹下さんは福島で開催された活動報告会に参加。本研究はF-REIの委託研究として行われ、現地でも報道されるなど反響を集めました。

竹下 真帆
竹下 真帆さん
長崎大学大学院総合生産科学研究科(情報)
博士後期課程2年

私は、原発事故後の入院患者と医療従事者の被ばく線量評価に関する研究に参加しました。
避難を伴う災害では、災害関連死の問題を避けては通れません。
東日本大震災では、被ばくを避けるため病院に入院されていた寝たきりの高齢者も避難を余儀なくされ、避難時や避難後に命を落とした方も少なくありませんでした。

この研究の目的は避難のあり方を検討し、災害関連死を最小化することでした。
私はデータサイエンスの専門家として、震災時の空間線量率を分析。
その結果、事故直後の放射線量が高かったエリアでも、病院などの建物に放射線を遮蔽する効果があったことが分かりました。
仮説ではありますが、その場にとどまることで助けられた命もあったのではないでしょうか。

福島で得られたこのような教訓と知見が、将来の防災・減災における新しい枠組みをつくる、ひとつの基準になればとの思いから、私自身は博士課程へ進み、新たな研究に取り組んでいます。
的確かつ冷静な判断につながるデータを残す、それが私の役目だと思っています。

知ることで広がる支援
2023~

大学院で学んだ、
現場で活かせる理論

祖父母が熊本出身の日系3世で、現在はハワイ在住。昨年12月にオアフ島で行われた真珠湾追悼式に長崎の被爆者グループが初めて参加した際には、企画・調整の主導者としてサポートしました。

スティーブ・テラダ
スティーブ・テラダさん
2025年度 長崎大学大学院医歯薬学総合研究科
修士課程修了

2011年3月、米国国防総省の文官職員として日本にいた私は、福島県の現状に深く心を痛めていました。
そこで、退職後の2018年、福島の風評被害を払拭できればと、線量計を手に県内各地で環境を調査し、県内の多くの地域や農作物・海産物の安全性を訴える記事をハワイの地元紙へ寄稿したり、YouTubeでのインタビューなどを通して情報発信をしたりしていました。
しかし、同時にその過程で放射線に関する専門的な知識の必要性も痛感したのです。

そこで2023年、私は74歳の時に長崎大学と福島県立医科大学による共同大学院に入学しました。
放射線災害医療学や放射線災害復興学など、専門的な教育が提供されていることに心を動かされたからです。
そしてチームの一員として、「福島第一原発事故後の除去土壌の復興再生利用に関する情報への関心」についての研究に取り組みました。
研究の過程で最も印象に残ったのは、この大学院に在籍している両大学の先生たちは、まさに“front-line warriors(最前線の戦士)”であること。
さらに災害放射線科学の専門知識を教える上で、間違いなく最も経験豊かな専門家たちであるということでした。

長崎大学で得た経験は、私が防災計画や被害経験に関する知識を修得し、更新し続ける道を支えてくれました。
また、災害時に苦しむ人々を支援したいという情熱も、さらに高めてくれたのです。

※記事では書ききれなかった震災当時の様子から大学院進学までのプロセスをこちらに紹介しています。

長崎大学・福島県立医科大学共同大学院災害・被ばく医療科学共同専攻

原発事故後、災害・被ばく医療科学分野の専門家不足が明らかになり、長崎大学の被ばく医療分野の実績と福島県立医科大学の災害医療対応の経験・教育フィールドを活かし、本分野における人材育成を担う機関として、2016年に設立。

等身大の復興支援
2024~

人生の転機となった福島被災地訪問

平部 桃子
平部( ひらべ ) 桃子さん
多文化社会学部4年

2024年夏、福島未来創造支援研究センターが開催する「地域から学ぶ復興学セミナー」に参加しました。
そして、このセミナーでの交流がきっかけとなり、大熊町のPR動画の制作や環境再生事業ワークショップに参加する機会をいただきました。
当初は原発に対して批判的だった私ですが、地元の方々と話をする中で、原発と共に営まれてきた暮らしがそこにあったことを知り、住民の皆さんのかつての生活まで否定したくないと思うようになりました。
原発を肯定した訳ではありませんが、セミナー等で学んだことを継承し、みんなで福島の復興について考えたいと思うようになったのです。

セミナーでは、除染によって発生した土壌等を保管する中間貯蔵施設も見学しました。
保管されている除去土壌の県外最終処分は自分自身にも関係する社会課題だと気づき、高校生や大学生を対象に復興再生土に対する理解醸成を目的としたロールプレイングゲームを制作。
アンケート結果の分析等を基に卒業論文を執筆しています。

セミナーをきっかけに、エネルギー問題にも関心を持つようになり、卒業後は関連する企業に就職する予定です。
入学当初は思ってもいなかった分野に進むことになりました。
これからも福島での経験を大切にしながら、つねに探究心を持って、発見を発信につなげていきたいと思います。

ロールプレイングゲーム
“長崎が復興再生土の
受け入れ候補地になったとしたら”

参加者には、環境省、長崎県知事、長崎県民(親、農家、土木作業員、ホテル経営者など)の役が割り当てられ、環境省から長崎県に復興再生土の受け入れが要請されたという設定のもと、話し合いを行います。参加者には、それぞれの立場や考え方が記されたシナリオカードが配布されます。例えばホテル経営者は、観光客の減少や風評被害を懸念し、受け入れに反対する立場から、環境省や長崎県知事とその対策や補償内容について意見を交わします。与えられた役になりきり、相手に説明することで、復興再生土の課題を自分ごととして捉え、理解を深めることができます。予備調査を含め、高校生・大学生など延べ50人が参加しました。

福島とともにこれからも。

続く支援未来へのメッセージ

広がりを見せる
放射線災害医療学と
復興学のネットワーク

山下 俊一
福島県立医科大学 理事長特別補佐・副学長
福島国際研究教育機構(F-REI)第4分野副分野長
長崎大学名誉教授
山下 俊一

長崎大学医学部を卒業後、長崎大学の教授、大学院医歯薬学総合研究科長、副学長、理事等を歴任。原発事故後のチョルノービリを100回以上訪れ、国際医療の最前線で力を尽くす。福島第一原発事故発生直後より、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとして活動。

お母さんや妊産婦さんと放射線の健康リスクについて語り合う母子車座集会。

原爆被災の経験を持つ長崎大学は、チョルノービリ原発事故後の現地での医療支援や、世界保健機関(WHO)での事故後20年の取りまとめ、さらには世界における緊急被ばく医療ネットワークの構築にも携わってきました。
ただ、私自身その経験を福島での健康危機管理に活かすことになるとは夢にも思っていませんでした。

福島での原発事故直後は、被災地の医療者でさえ被ばくへの不安と恐怖で動揺していました。
対して被ばく医療の専門家は圧倒的に不足しており、被災地の混乱収拾は困難を極めました。
原子力災害被災者への現場対応、その対応ができる専門家の育成、そして環境放射能モニタリングと被災県民の健康見守り事業を同時並行で進めることは当時至難の業でした。
関係機関と力を合わせて“走りながら考える”しかない状況だったのです。

そこで2016年に、原子力災害に対応できる多職種人材の育成を目的に、長崎大学は福島県立医科大学と修士課程の共同大学院を創設。
放射線災害医療学や復興学など新たな学問の開発拠点となりました。
また研究面では、広島大学も加わった3大学が放射線災害・医科学研究拠点として共同研究のネットワークを構築し、着実な成果と事業の広がりを見せています。
この3大学は、原子力規制庁より高度被ばく医療支援センターと原子力災害医療・総合支援センターに指定され、新たな原子力災害医療体制の強化にも貢献しています。
さらに長崎大学は、2019年から復興庁の復興知事業、2023年から福島国際研究教育機構(F-REI)におけるセミナーや研修、国際会議の開催などを担い、国内外のネットワークを駆使して被災地福島に対する正しい理解促進と復興支援、さらに世界への情報発信の拡大も担ってきました。

このような取り組みと並行し、長崎大学は2012年の川内村を皮切りに、富岡町、大熊町、双葉町と順次包括連携協定を締結。
その頃には、放射線や保健医療の専門家で構成したチームが現地に常駐し、放射線リスクコミュニケーションだけでなく、日常生活における健康リスク全般にも対応できるようになったのです。

原子力災害の被災地での支援を長く継続してきた貴重な経験は、他にはない長崎大学の強みです。
よって世界の放射線健康リスクの管理と理解促進に貢献すること、放射線災害医療学と復興学をけん引し、社会へ開かれた情報発信拠点となること、常に信頼される専門人材を育て輩出すること、これらは長崎大学に与えられた使命であり、責務であると思っています。
そしてそのプラットフォームとなるのが、髙村昇教授がセンター長として率いる「福島未来創造支援研究センター」でしょう。
今では原爆後障害医療研究所に加え、医学部、歯学部、経済学部、教育学部、情報データ科学部など多くの学部が復興支援に積極的に参加しており、さらに学内外のネットワークが広がることを期待しています。

山下 俊一
山下 俊一

長崎大学医学部を卒業後、長崎大学の教授、大学院医歯薬学総合研究科長、副学長、理事等を歴任。原発事故後のチョルノービリを100回以上訪れ、国際医療の最前線で力を尽くす。福島第一原発事故発生直後より、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとして活動。

反省と教訓を
次の時代に活かす
長崎大学のミッション

髙村 昇
長崎大学原爆後障害医療研究所 教授
長崎大学福島未来創造支援研究センター
センター長
東日本大震災・原子力災害伝承館 館長
髙村 昇

長崎大学原爆後障害医療研究所放射線リスク制御部門の教授として、山下俊一名誉教授とともにチョルノービリで活動。福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの活動と並行して、2020年4月から東日本大震災・原子力災害伝承館館長を務める。

大熊町の帰還困難区域における学生の放射線測定実習の様子。

15年にわたる復興支援は4つのフェーズに分けられます。
第1は被災者の皆さんの放射線被ばくに対する不安への対応、第2は避難した自治体の復興支援、第3は人材育成、そして第4は被ばく医療科学に加えた幅広い分野での支援です。

原発事故直後の2011年3月19日、山下俊一教授(当時)や私は福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに任命され、県内各地での講演会や取材対応などを通して放射線と被ばくの健康影響についての説明を行いました。
そのような中、気になっていたのが、避難指示が出ていた自治体の復興です。
私たちはチョルノービリ原発事故後の医療支援や対応を現地で経験しており、一度壊れたコミュニティは再び元に戻ることは難しいことをこの目で見ていたからです。
あの悲劇を福島で繰り返してはならないと私たちは強く意識していました。
そこで、長崎大学は川内村など4つの自治体と包括連携協定を結び、復興支援を始めたのです。
そのために今後必要となる人材は、福島県立医科大学との共同大学院、災害・被ばく医療科学共同専攻(修士課程)で育成しています。
今ではその修了生の多くが私たちの仲間に加わっているのです。

また、医療分野以外に、教育、経済といったコミュニティの基盤となる分野への取り組みのためには、私がセンター長を務める「福島未来創造支援研究センター」が設立され、ここをプラットフォームとして、さまざまな学部が参加し、幅広い支援と人材育成を進めています。

このように4つのフェーズの取り組みは着実に進んでいます。
しかし、実際に現場に足を運んでいただくと分かりますが、例えば川内村のようにほぼ震災前の様子に戻っている地域もあれば、双葉町のように未だに町の約80%が帰還困難区域で、かつて人口数1000人だった町に200人しか住んでいない地域もあります。
復興は始まってさえいないのです。
このような極端にまだらな復興の現状を目の当たりにすると、復興をひとくくりに評価したり判断したりすることはできないのです。

私たちは、この15年間の経験から得た教訓と反省を各地域の復興の状況に応じた支援に活かしていかなければなりません。
さらに、国内外の専門家や組織とも共有し、将来的には災害時の行動指針となる国際ガイドラインの作成等も手掛けたいと考えています。
そのため具体的には、私が館長を務める東日本大震災・原子力災害伝承館や、国際原子力機関(IAEA)、国際放射線防護委員会(ICRP)といった国内外の組織との連携も大切になると考えています。

今この瞬間も、長崎大学のスタッフが帰還困難区域に入って線量を計測し、その結果を携えて、ふるさとに戻りたいと願う人たちと対話を繰り返しています。
私たちには、まだまだやるべきことがあるのです。支援を止めることはできません。

髙村 昇
髙村 昇

長崎大学原爆後障害医療研究所放射線リスク制御部門の教授として、山下俊一名誉教授とともにチョルノービリで活動。福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの活動と並行して、2020年4月から東日本大震災・原子力災害伝承館館長を務める。

Vol.90

2026年3月1日発行

「大学と地域の垣根を取り払う」をコンセプトに、長崎大学の思いや姿、描く未来などを共有し、
多くの皆さまに長崎大学へ関心をお寄せいただけるような広報紙を目指します。