Saiyu Fund
[西遊基金]

銘板が語り継ぐ親子のチームワーク

西遊基金 2025/07/01
1996年歯学部卒業 今岡 美佐子さん

 瀬戸内海に浮かぶ愛媛県今治市の「伯方島」で生まれ育った私は、中学卒業と同時に親元を離れ、今治市内の高校に入学しました。自分一人で衣食住を整えながら受験勉強に励み、長崎大学の歯学部に合格。その頃私の父は海運会社を経営しており、たくさんの船員を五島列島から雇用していました。「医歯薬は難しい」。そう言われた時期を乗り越え歯学部に合格できたのも、父の代から続くこの長崎とのご縁が味方してくれたからでしょう。私にとって長崎大学は運命の大学になりました。

成人の記念に親子3人で撮影した一枚

 歯学部は職人的な技術を磨く実習が多く、それらを一つひとつクリアしていく中で自分に向いている治療技術や心掛ける点などを、明確にとらえることができました。しかし、不器用だった私はこの実習で合格するまでに時間がかかり、夜遅くまでラボに残って作業する日も度々。モノづくり以外の分野で成果を出すしかないと思いながら、頑張っていました。

 また卒業を控え、予防歯科の研究に興味を持った時期もありました。高木興氏教授(当時)が主宰する予防歯科学講座の見学に行きましたが、高木教授は私が研究を継続できるか半信半疑のご様子でした。他の大学の講座も視野に入れ、頑張り抜けるか悩んだ末、大学院生がコンピューターにデータを次々入力する姿を見て、やはり研究職は自分には不向きだと実感し、臨床の道に進むことにしました。

 その後、愛媛大学の勤務医時代に長大歯学部愛媛県人会が発足しました。1期生の先輩や先生方が集まりお互いに語り合う小さな会から始まり、11期生の私もその輪の中に加えていただきました。「参加するだけでも立派だよ」とおだてられながら、いそいそと出席していたものです。会の名称は「おくんち会」と言います。龍踊会、西遊記の会、長大会など複数の候補の中から、私が考えた名称にあみだくじで決まりました。

 伯方島で「今岡歯科」を開業して早いもので21年。患者さんのほとんどが治癒に向かっています。大学時代に歯学部の先生方からご指導いただき、国家試験に合格できたおかげで、小さいながらも自分の病院を持つチケットを手に入れることができたと感謝しています。特に人口約5000人の小さな島で、総合歯科医として島民の健康を守る過程では、大学時代に学んだ離島医療の知識が下地になったと思います。

 昨年11月、開業20周年の節目に両親と西遊基金へ寄附させていただきました。私と両親は3人で一つのチームです。二人に支えられながら、共に頑張ってきた人生を何か形にしたいと考え、思い入れが深く、寄附者の銘板を残してくださる長崎大学に寄附することを思いつきました。学生の皆さんには、体も心も無理をすることなく大学生活を楽しんでほしいと思います。まずは体が資本ですから、私自身もお世話になった学食の質をより向上させることに役立てるなど、学内の環境整備に活用していただければ幸いです。

父・一廣さん、母・百合子さん(写真左)と並んで名前が刻まれている西遊基金寄附者銘板(文教キャンパス)。「ここに親子3人の名前が残ることを、今回長崎に来ることができなかった父が一番喜んでいます」と美佐子さん。
昨年6月から、岡山大学予防歯科学講座(江國大輔教授)で学究に励んだ今岡さん。三度目の飛躍を叶え「コツコツと頑張ってきたことを、これからの人生計画にしっかり役立てていきたい」と話します。